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リカルド ロペス 最強 6


結果、5回TKOで大橋は敗れロペスはそのベルトを21度防衛。更にライトフライ級に階級を上げて2階級を制覇した後、生涯無敗のまま引退。歴代PFPの上位争いにも顔を出す程の歴史的英雄となった。漫画”はじめの一歩”に登場する生きる伝説、リカルド・マルチネスはこのロペスがモデルになっている。, あの日から29年、大橋イズムは濃い血となり彼の後輩達にしっかりと受け継がれている。語り継ぎたい大橋とロペスの熱い物語。.

リカルド・ロペス・ナパ(Ricardo López Nava、男性、1967年7月25日 - )は、メキシコの元プロボクサー。元WBC 世界ミニマム級王者。元WBO世界ミニマム級王者。元WBA世界ミニマム級王者。元IBF世界ライトフライ級王者。El Finito(フィニート、素晴らしい男)の異名を持った。, 戴冠前の試合はほとんど残っていないがかといって放送がなかったわけではなくよくロペスの試合は放送されていた。, 1989年11月7日、WBCアメリカ大陸ミニマム級王座決定戦をレイ・エルナンデスと行い最終12回KO勝ちを収め王座獲得に成功した。, 1990年3月15日、ホルヘ・リベラと対戦し、8回KO勝ちを収め初防衛に成功した。, 1990年10月25日、後楽園ホールでWBC世界ミニマム級王者大橋秀行(日本・ヨネクラボクシングジム)と対戦した。4回にダウンを奪うと、5回に更なる追撃を浴びせダウンを追加し、3度目のダウンから立ち上がろうとしたところでレフェリーストップ。5回2分TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。, 1991年5月19日、静岡市の草薙体育館で平野公夫(日本)と対戦し、8回1分42秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。, 1991年12月21日、ソウルの蚕室体育館で元IBF世界ミニマム級初代王者李敬渕(韓国)と対戦し、引導を渡す12回3-0(118-110、116-112、120-107)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。, 1992年3月16日、メキシコシティのフロントン・メキシコでプリティ・ボーイ・ルーカス(フィリピン)と対戦し、12回3-0(120-104、2者が120-106)の判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。, 1992年8月22日、シウダド・マデーロのアウディトリオ・デ・マデーロでシンプラサート・キティカセム(タイ)と対戦し、5回1分5秒KO勝ちを収め4度目の防衛に成功した。, 1992年10月11日、後楽園ホールに2年振りの登場。WBC世界ミニマム級1位のロッキー・リン(台湾)と指名試合を行い、一撃で失神させる2回1分46秒KO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。日本での試合はこれが最後となったが、以降も日本での世界戦に出場する同国人選手の応援や韓国やタイでの遠征試合の調整などでたびたび来日した。, 1993年1月31日、浦項市の浦項体育館で呉光洙(韓国)と対戦し、9回2分38秒TKO勝ちを収め6度目の防衛に成功した。, 1993年7月3日、ヌエボ・ラレドのパルクェ・ラ・ジュンタで後にライトフライ級でタイのボクサーで初の統一王者で長期政権を築くサマン・ソーチャトロン(タイ)と対戦し、2回2分45秒TKO勝ちを収め7度目の防衛に成功した。, 1993年9月19日、バンコクのキャピタル・シティ・ディスコザクェでトートー・ポンサワン(タイ)と対戦し、11回2分30秒TKO勝ちを収め8度目の防衛に成功した。, 1993年12月18日、ネバダ州ステートラインのモントブルーで元IBF世界ミニマム級王者マニー・メルチョル(フィリピン)と対戦し、11回2分KO勝ちを収め9度目の防衛に成功した。, 1994年5月7日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで後のWBO世界ミニマム級王者ケルミン・グアルディア(コロンビア)と対戦し、12回3-0(2者が117-110、119-109)の判定勝ちを収め10度目の防衛に成功した。, 1994年9月17日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでヨドシン・センガーモロコット(タイ)と対戦し、ミニマム級世界戦最速KO記録となる初回1分53秒TKO勝ちを収め11度目の防衛に成功した。, 1994年11月12日、メキシコシティのプラザ・デ・トロス・メキシコでハビエル・バルガス(メキシコ)と対戦し、8回1分33秒TKO勝ちを収め12度目の防衛に成功した。, 1994年12月10日、モンテレイのエスタディオ・デ・ベイスボル・モンテレイでヤミール・カラバリョと対戦し、自身が持つ従来の最短記録を大幅に更新する初回1分10秒TKO勝ちを収め13度目の防衛に成功した[2]。, 1995年4月1日、ネバダ州プリムのバッファロー・ビルズ・スター・アリーナで「タバナス大塚」のリングネームで日本でも活躍しているアンディ・タバナス(フィリピン)と対戦し、最終12回2分45秒TKO勝ちを収め、14度目の防衛に成功した。その後負傷の影響で約1年試合から遠ざかる。, 1996年3月16日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで「アラ・ビラモア木村」のリングネームで日本でも活躍したアラ・ビラモア(フィリピン)と対戦し、8回40秒KO勝ちを収め15度目の防衛に成功した。, 1996年6月29日、カリフォルニア州インディオのファンタジー・スプリングス・リゾート・カジノでキティチャイ・ブリーチャ(タイ)と対戦し、3回1分46秒TKO勝ちを収め16度目の防衛に成功した。, 1996年11月9日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでモーガン・ニドゥモ(南アフリカ)と対戦し、6回55秒TKO勝ちを収め17度目の防衛に成功した。, 1996年12月7日、ファンタジー・スプリングス・リゾート・カジノで朴明燮と対戦し、初回2分22秒TKO勝ちを収め18度目の防衛に成功した。, 1997年3月29日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトン内ヒルトン・センターでモンコル・チャーロンと対戦し、12回3-0(2者が120-107、119-108)の判定勝ちを収め19度目の防衛に成功した。, 1997年8月23日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWBO世界ミニマム級王者アレックス・サンチェス(プエルトリコ)との統一戦を行い、5回1分58秒TKO勝ちを収め、WBC王座は20度目の防衛、WBO王座も獲得に成功した。その後、WBO王座は防衛することなく返上した。, 1998年3月7日、メキシコシティのプラザ・デ・トロス・メキシコでWBA王者ロセンド・アルバレス(ニカラグア)との王座統一戦を行った。前評判ではロペスが圧倒的に有利とされたが、2回にWBA王者の強打を受けてしまい、アマ・プロ通じて初のダウン。辛くも立ち上がり、試合続行に応じたものの、本来の調子とは程遠かった。そして、迎えた7回2分に、偶然のバッティングで右眉毛からまぶたまでをカットし出血する。レフェリーは偶然のバッティングで1点減点を宣言、ドクターは続行の判断をし、残り50秒はファイトという掛け声とともにそのままの続行している。その7回の残り50秒の間に医師と隣に座っていたWBCホセ・スレイマン会長(ちなみにその隣はドン・キング)と傷の深さなど語ったとされる。ラウンド終了後間近で傷を見たトレーナーのナチョ・ベリスタインは、続行不可能と判断、ロペスはガードを高く掲げるポーズで8回開始すぐに戦闘続行の意思を示したものの、ベリスタインはスレイマン会長に状況を訴える。この間会場では観客同士の小競り合いが起こるほど騒然とした状態となる。スレイマンは医師の意見をもう一度確認した後、偶然のバッティングによる負傷判定と決断し結果は8回1-1(67-64、63-68、66-66)薄氷を踏む引き分け。お互いに王座防衛には成功したものの、ロペスは初のダウンを奪われた末に完璧な全勝レコードに初の引き分けを挟むことで傷をつける形になってしまった。しかし無理を押して続行して、相手をKOまでいかなくてもダウンを奪うなど明らかな優位を付ければよく、この時点でベリスタインとスレイマンによって引き分けの判断があったとされロペス優遇という結果に議論が巻き起こることになった。, 1998年11月13日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトン内ヒルトン・センターでWBA世界ミニマム級王者ロセンド・アルバレスと再戦となる王座統一戦を行う予定だったが、アルバレスが体重超過により計量失格となり、WBCは王座統一戦を承認せず、ロペスが勝った場合のみWBA王座が懸かった試合となった。ここでもロペスは5回に右目尻を6回には左目尻をカットし、10回にはレフェリーがドクターストップか負傷判定かと医師に迫るくらいに顔の腫れ切り傷、出血が酷かったため、大苦戦を強いられるものの、12回2-1(116-114、116-112、113-115)の判定勝ちを収めWBA王座獲得に成功した。, 1999年、IBF世界ライトフライ級王者ウィル・グリッグスピー(アメリカ合衆国)に挑戦が決定したのに伴い、9月29日付で正式にWBA王座とWBC王座を剥奪された。WBA王座とWBC王座を8年7ヶ月保持し続けてきたミニマム級に別れを告げた[3]。, 1999年10月2日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトン内ヒルトン・センターで、IBF世界ライトフライ級王者ウィル・グリッグスビーと対戦し、12回3-0(118-110、116-112、117-111)の判定勝ち。プロ、ちょうど50戦目にして2階級制覇を達成したが、その後は負傷の影響で1年以上試合から遠ざかる。, 2000年12月2日、1年2か月ぶりの復帰戦。マンダレイ・ベイ・イベント・センターでフェリックス・トリニダードVSフェルナンド・バルガスの前座で元IBF世界ミニマム級王者ラタナポン・ソーウォラピン(タイ)と対戦し、3回2分11秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。, 2001年9月29日、マディソン・スクエア・ガーデンでバーナード・ホプキンスVSフェリックス・トリニダードの前座で、ミニマム級時代に戦わなかった最後の対立王者で元IBF世界ミニマム級王者並びにIBF世界ライトフライ級2位のゾラニ・ペテロ(南アフリカ)と対戦し、8回1分32秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。この試合を最後に2002年11月27日、「まだ1、2試合はできると思うが、この先何が起こるか分からない。これまでの検査で異常は見つかっていないけど、ダメージを抱えて余生を送るようなことは避けたい」と語り、王座在位のまま引退を表明した。1つの引き分けはあるものの、アマ・プロ通じ、敗戦を知る事なくリングを去った[4][5][6]。, 2005年9月12日、BBCの読者投票「読者が選ぶパウンド・フォー・パウンド・リスト」で10位に選出された[8]。, 2007年6月7日、ニューヨークの国際ボクシング名誉の殿堂博物館でミニマム級の世界王者として初めて殿堂に迎え入れられた[9][10]。, ボクシング世界図鑑 (ハリー・ムラン、ボブ・ミー、マット・ボジート著)248ページ参照, ボクシング世界図鑑 (ハリー・ムラン、ボブ・ミー、マット・ボジート著)247ページ参照, "Finito" López, un ejemplo de vida... y de deportista, Finito López: no todo es salvajismo en el boxeo, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=リカルド・ロペス&oldid=80006314. 現在も連載中のボクシング漫画です。はじめの一歩には名言がたくさんありますが、特にストイックな人生を送るのに必要だと思わされた 「はじめの一歩」の連載を開始。 今回は、はじめの一歩で登場するキャラクターで島袋 岩男について見ていきましょう。, はじめの一歩 小島 寿人は最強のパンチ力を持つ男の中の一人です。 後の引き延ばしにつながった、とする声もある。, 三代目 史上最強のボクサーのランキング マイク・タイソンやモハメド・アリなどのキックボクサーを徹底ランキング!あなたが最強だと思うボクサーに投票してください。 投稿日:2019年8月2日, 4:06 pm 更新日: 2020年3月5日, 7:07 pm 承認済み. 今回はそんな唐沢 拓三についてお伝えします。, 今回は、はじめの一歩で登場するキャラクターで真田 和樹についてと、必殺技、飛燕と燕返しを解説していきたいと思います。、飛燕と燕返しを実践で使えるのかも考えてみました!, はじめの一歩の島袋 岩男は主人公一歩ばりのインファイターです。彼のムキムキの筋肉と極太の首はいまだに忘れられません。 〜 8.カルロス・サラテ(28), これがTOP10ということになるかと思いますが史上最強候補として名前が挙がる人物がほとんどいません。, 昨今、重要視される複数階級制覇にしてもメイウェザーやパッキャオの記録は偉大ではあるものの階級の増加はともかくとして認定団体の増加、さらには一つの団体の一つの階級で3~4人の世界チャンピオンが存在するなど参考にもならないものです。, 記録は相対的スポーツである以上、数字が即レベルの話にはならないのは当然ではあるもののボクシングにおいては特にそれが言えるかと思います。, 例えば相撲ではその時代の最強候補たちが何十回も対戦します。同部屋で対戦しないということはあっても共通の対戦相手とこれまた何十回と対戦しますので目安にはなります。, ところがボクシングの場合はその時代の同階級の強者が必ず対戦するとは限らない。対戦しても1回、多くて2回。3回以上対戦することは稀ですね・・・。, ただ私はそれに加えてどういう風に戦ったか?というのもそれと同じくらい重要であると思います。, 例えば日本でいうと亀田の対戦相手を批判すると「長谷川や西岡、井岡だって格下と対戦したことがあるじゃないか?」という人がいます。, しかしその格下相手に接戦のうえ拙戦でやっと判定勝ち、しかもどちらの勝ちだかよくわからない判定勝ちの亀田と格下に圧倒する勝ち方をする長谷川、西岡、井岡らと同列に語ることはできないものです。, 防衛記録、第3位のリカルド・ロペスにしても「対戦相手の質ということで評価はいま一つという人もいます。, 個人的にはサマー・ソー・チャトロン、李敬淵らもいましたのでそんなに言うほど質が悪いとは思いませんが、それにもましてあの圧倒する勝ち方、顔に傷一つなく試合前のような顔でリングを後にするロペスは数字以上に評価されるべきチャンピオンでもあると思います。, 最強候補に名前が挙がるボクサーに対して私も正直言って異議はほとんどありません。確かに素晴らしく強いチャンピオンで最強ボクサーはこの中にいると私は思いますがそれは誰と戦ったというのもさることながらどういう風に戦ったかというのも評価されてのことであると私は思います。, そして相撲に関しては数字は参考ではあるものの、大きなウェイトを占める要素でもあるとは思いますがボクシングに関しては数字は参考の域を出ないもので重要度という点からいえば三の次くらいではないかなと思います。, 誰と戦ったか、そしてどのように戦ったか。この2つがボクサーの価値を決定させる大きなウェイトであるとつくづく思いました。. まあモデルがリカルド・ロペスっていうしばらくミニマムにひきこもってたボクサーやろから 71: 名無しの暇人さん 2020/09/11(金) 12:31:37.01 ID:FLMn6Pc00 階級上げるどころか統一戦すらしないやんけこ … ダニエル・ジョセフ・リカルド( Daniel Joseph Ricciardo, 1989年 7月1日 - )は、オーストラリア出身のレーシングドライバー。.
3.リカルド・ロペス(22回) PSN契約する気無くなるわ…で、バックアップもできない→データ破損→PS5はもういいや 1994年に自身が設立したJBスポーツクラブの運営に専念するため漫画界を引退した。, 二代目 風呂敷を広げすぎ収集困難となった二代目による方向性を改め、「板垣の成長物語」とした。 リカルド・ロペス・ナパ(Ricardo López Nava、男性、1967年 7月25日 - )は、メキシコの元プロボクサー。 元WBC 世界ミニマム級王者。 元WBO世界ミニマム級王者。 元WBA世界ミニマム級王者。 元IBF世界ライトフライ級王者。 El Finito(フィニート、素晴らしい男)の異名を持った。 また板垣vs今井戦など、間違って先週号を読んでいるのかと読者に不安を抱かせるほど 出典. 貧乏になった日本国民には痛い出費。, ツシマは操作、移動、ロードなどなどプレイヤーがほとんどストレスを感じない 4.ウィルフレド・ゴメス(32)

名作と言われる試合は二代目の手がけたものが多い。

脇役にしっかりとした設定の肉付けがされ、また脇役同士の試合にもドラマが生まれた。

まあモデルがリカルド・ロペスっていうしばらくミニマムにひきこもってたボクサーやろから 71: 名無しの暇人さん 2020/09/11(金) 12:31:37.01 ID:FLMn6Pc00 階級上げるどころか統一戦すらしないやんけこ … 今回はそんな小島についてお伝えします。, 今日は僕の大好きな漫画、はじめの一歩の名言について紹介していきたいと思います。はじめの一歩をご存知でしょうか? 8.クリス・ジョン(18回) 試合終了の瞬間、両者の表... https://www.tokky7.com/wp-content/uploads/2020/08/512-e1598530116756.jpg, 元日本・東洋Sウェルター級王者、細川貴之が大阪北新地に構える「Bar the GORILLA」. 以降2001年にゾラニ・ペテロ戦まで一度の引き分けを挟み、無敗のまま引退したメキシコが誇る名チャンピオン。

とにかくボクシングが好き!という方たちと一緒に、ボクシングの魅力や楽しさを共有するサイトです。, コブシノトリコ|ボクシングの魅力・楽しさ・人気選手情報を共有するコミュニティサイト, 大手プロモーターがボクシング市場未開拓のアジア市場、特に中国に目を向けはじめた事も要因の一つですが, ノニト・ドネアやローマン・ゴンザレス、そして日本の井上尚弥のような、KOを量産するボクサーの台頭が最もな理由でしょう。, 現に「Super Fly」という、おそらく十数年前であれば考えられなかった軽量級にスポットを当てたボクシングイベントも成功を収めています。, そうした中で、軽量級に対する声は「KOが少ないからつまらない」という、特に海外ではそういう見方をされることが多かったはずです。, しかしその軽量級の中で、しかも最軽量クラスのミニマムとライトフライで52戦51勝1引き分け、, 51勝のうち38勝がノックアウトという、戦績だけ見たらフェザー以上の選手なんじゃないかと思えるような70%を超えるKO率を誇ったのが, そしてリカルド・ロペスは軽量級最強だったのか、その強さの秘密、引退後の現在は何をしているかについて、書いていきたいと思います。, 以降2001年にゾラニ・ペテロ戦まで一度の引き分けを挟み、無敗のまま引退したメキシコが誇る名チャンピオン。, リカルド・ロペスというと、日本人はサッカー選手の方を思い起こす人も多いと思いますが、ボクシングファンにとってはなんといっても"Finto"の方ですね。, アマチュアでも無敗を誇っていたようです。このアマチュア無敗かつプロ無敗というのはリカルド・ロペス以外には見当たりません。, アマ歴は1981年から1984年までとそこまで長くないことを考えても、このレコードは驚異的です。, 早いパンチ、強いパンチ、パンチの種類にも様々ありますが、リカルド・ロペスのパンチは, 今でこそボクシングの実況で「ノ―モーション」と呪文のように言われますが、それが言われ始めた最初はリカルド・ロペスにあると思います。, 見えないパンチというのは非常に効きます。「なんであんなパンチで倒れちゃったの?」という時、大体見えていない事が多いです。, 例えば、不意に立ち上がり何かに頭をぶつけたとき、めちゃくちゃ痛いと思います。でもサッカーのヘディングってそこまで痛くないですよね?, 同じようにぶつかっているのになぜ痛みに違いが生じるのか、それはその衝撃が意識の外にあるかないかの違いです。, ノーモーションパンチというのは対戦相手の意識外から飛んでくるパンチ、リカルド・ロペスはその使い手でした。, こう言うと、ノーモーションパンチというのは超高級テクニックのように聞こえますが、素人がボクシングジムに入会するとまず教わるパンチといえます。, 予備動作の少ないジャブ、ワンツー、ストレート、「初めてのボクシング」といった本に載っていそうな動きです。, しかし、いずれそれは忘れられていきます。もっと早いパンチを打ちたい、もっと強いパンチを打ちたい、豪快なフックやアッパーを打ちたいという思いに駆られ, プロでさえ、それを実際の試合のリングの上でやれと言われ簡単に出来るものではありません。, その基本のキを愚直なまでに極めたところ、それがリカルド・ロペスの一番の凄さといえるでしょう。, メキシコのボクサーというと、アグレッシブでガンガン前に出て、打ちつ打たれつのインファイターを想像しがちですが, リカルド・ロペスはじめ、ファン・マヌエル・マルケス、マイキ―・ガルシア等メキシコからも多く輩出されています。, 最近ではエイドリアンブローナー対マイキ―・ガルシア戦において、解説のポール・マリナッジをして「textbook」と称されていました。リカルド・ロペスはその代表格ですね。, いや、リカルド・ロペスのパンチで最も凄いのは左のアッパー~フックだと言われる方も多いでしょう。, 確かに試合映像を見ても、全く軸のぶれない左アッパーからの左フック、相当な体幹の強さだったと思います。, ロッキー・リンを破壊した左のロング、その他海外での試合を見ても、左アッパー&フックでフィニッシュブローにつなげています。, しかしそれも基本のジャブ・ワンツーがあってこそ。特に決めにかかったときの右ストレートの伸びはユーリ・アルバチャコフのような殺傷能力があるように思えます。, 右ストレートに関しても少々。数少ないリカルド・ロペスのサンドバッグ映像を見ると、左右交互にアッパー気味のパンチを50発連続で打っている映像があります。, これは簡単そうですが、中々出来ない。右利き左利きがあるように、人間左右半身どちらかに偏る傾向があります。, しかし、リカルド・ロペスは左右全く同じ形状・曲線でパンチが出ています。バランスの良さと、肩甲骨が相当柔らかかったのではないかと思います, 伸びてどこまでも飛んでいきそうな右ストレートも、この柔軟な肩から生まれたのではないでしょうか。, そしてディフェンス面、リカルド・ロペスが世界王座を11年間にわたり維持し、26回の王座防衛を果たしたのは, 完膚なきまでに叩きのめし、絶対有利の状況の中、それでもリカルド・ロペスの左腕は顔の前、右拳は顎を守りながら、全く隙のないマシンのように「150年に一人の天才」を追い詰めていきました。, 卓越したスーパーテクニックで相手を翻弄するワシル・ロマチェンコの「精密機械(ハイテク)」という言葉はリカルド・ロペスにも相応しいような気がします。, 大橋戦のために来日した当時の映像を見ると、リカルド・ロペスの鼻筋が非常に綺麗でまっすぐ通っている事が分かります。, 上述したサンドバックの映像でも、常にガードを意識しているように拳は高い位置に置かれています。, 忠実に半身の姿勢で顔の前に置かれた左拳、隙の無い構え。そこからノーモーションでジャブを打たれたら、まず避けられません。, メキシコの名伯楽アルトゥーロ・エルナンデスをして「最高傑作」と言わしめた攻防ともに「教科書」に忠実な姿勢が、52人の猛者達をなぎ倒す強さへとつながったのでしょう, 彼はローマン・ゴンザレスが敬愛するニカラグアのチャンピオン、ロマゴン全盛期の詰めを見ていると、どことなくリカルド・ロペスのような動きに見える事があります。, まず、当時のミニマム(当時はストロー)に限定するならば、間違いなく最強といえるでしょう。, 最後の3戦を除き、全てミニマムで戦っているわけですが、ロセンド・アルバレスのテクニカルドローはあるにしても, しかもリマッチでロセンド側は体重超過していたので、リカルド・ロペスのミニマムにおける戦闘力を疑問視する声はないでしょう。, リカルド・ロペスが大橋選手から王者を取り、引退するまでの1990年から2001年、仮にリカルド・ロペスがロマゴンのようにスーパーフライまでの軽量級4階級制覇を目指すとして, などのビッグネームがいます。階級を上げ、リカルド・ロペスが彼らに勝てるかというと、すぐに首を縦に振るファンはそう多くないはずです。, そもそも海外でのリカルド・ロペスへの評価というものは、そこまで飛び抜けているというわけではないそうです。, 一つは、同じ時代にフリオ・セサル・チャべスという超を何個つけても足りないビッグネームがいたこと、もう一つの要因として、ライバルが不在だったことが大きいでしょう。, エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケス、さらにフロイドメイウェザーと激闘を繰り返し、今でこそ衰えを見せますが, 今でこそケルブルック、ジェイコブス、そしてサウル・アルバレスと激闘を繰り広げ「最強」を認められていますが、それまでは「本物と戦っていない」と批判の声が多かったそうです。, もちろん、上述の軽量級スーパースター達に、リカルド・ロペスが勝てないと言っているわけではありません。, 実際勝つ確率だって相当なものだと思います。しかし、その説得力ある根拠が、彼の戦歴からは見いだせないということだけです。, 2007年「国際ボクシング名誉の殿堂博物館」にて殿堂入りをするのも当然と言えば当然です。, また、2014年には「BoxRec」から全世代通じてのミニマム級最強王者として文句なしの名誉を与えられています。, 今ではスペイン語圏最大のテレビ局「テレビサ」のボクシングボクシング解説者・評論家として活躍しているみたいですね。ロマゴンの試合も解説していました。, よく引退すると太るボクサーが多いですが(ナジム・ハメド、リッキー・ハットン、マルコス・マイダナ、特にハメドはひどい。), 2007年当時の写真を見ると、確かに現役のミニマムよりはふっくらしているものの、非常に筋肉質でしまった体型をしています。, 170cmの身長でミニマムを維持した彼のストイックさは、ボクシング界を退いた今でも続いていることでしょう。, それを以て全世代を通してミニマム級最強王者の称号は間違いなく彼のものですが、ライバル不在であったことから軽量級最強か否かは議論の余地がありますね。, そしてその基本に忠実なボクシングの姿勢は引退後も貫かれ、彼の人生の糧となっていることでしょう。, 指導者としても非常に相応しいと思うので、是非第2のアルトゥーロ・エルナンデスのような名伯楽になってほしいと願うばかりです。.

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